桃太郎を考察する① 出生編
こんにちは。
突然ですが今回は童話『桃太郎』の考察をしていきたいと思います。
桃太郎を考察しようと思ったのは特にアニメのネタ切れというわけではなく、考察する作品として『桃太郎』という天啓を受けたからです。調べてみると『桃太郎』の起源やモデルを考察した本格的な記事はあるものの、作品として内容を考察しているものは見かけなかったので今回挑戦してみました。
※この記事はネタバレを含んでおります。桃太郎をまだ読んだことがない方はご注意ください。
あらすじ
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。
桃から主人公が生まれる衝撃
この作品が最初に読者の心を掴んだのは主人公である桃太郎の登場シーンでしょう。多くの作品ではある程度主人公が成熟した段階でストーリーが始まっています。
しかしこの作品は桃から生まれるという衝撃的な方法で主人公が登場します。この方法によって桃太郎は他の人間とは異なる存在であるということをアピールし、さらにはその後の人間離れした成長や活躍を支える要素となります。また、桃というアイデンティティを獲得したことによって他のいわゆる「太郎系作品」の中に埋もれない印象を植え付けることにも成功しています。
一説には桃を食べて若返った爺婆の間に生まれた子という話もありますが、こちらでは主人公のキャラ付けが弱く、また急激な成長を肯定する要素として弱くなってしまうので私としては現行の解釈の方が好ましいと思います。
なぜ桃太郎は切られなかったのか
桃太郎に対する批判としてよく見られるのが「桃を切る時に桃太郎が切られなかったのはおかしい」という意見です。では果たして桃太郎は本当に切られてもおかしくなかったのでしょうか。
まずは桃の大きさを簡単に検証してみましょう。日本人の新生児の平均身長はおよそ50cm。丸まって入っていたとしても桃の大きさとしてはここが最低ラインになるでしょう。
最大の大きさを測る基準としては、おばあさんが洗濯物と一緒に持ち帰っている描写から、大きくても直径1mくらいでしょうか。数式などを用いて真剣に考察すれば正確な数字が出せるかもしれませんが、それだけで考察が終わってしまいそうなのでここでは省略します。ここでは上記を元に直径1mだと想定しましょう。
もし仮に直径1mだとしても桃太郎が占める桃内部のスペースはかなりあるでしょう。おじいさん達はもちろん食べるつもりで桃を切ったので、まず最初に中央から2等分する切り方なら桃太郎に包丁が当たるのは避けられないでしょう。やっぱり桃太郎が切られないのは不自然なのか…
そこで私が目をつけたのは「桃太郎の時代設定」。まず注目すべきはおばあさんが川へ洗濯に行っている事実です。洗濯の歴史を調べてみると、どうやら川へ洗濯に行く文化があったのは江戸時代以前で、江戸時代になってからは桶と洗濯板で洗濯するのが主流だったそうです。桃太郎という物語の発祥が室町時代とされていることからも辻褄は合うでしょう。
そして次に注目すべきは桃をどうやって切ったのかという点。
大きさ1mの桃と言えど食べ物なので斧や鎌で切るとは考えにくい でしょう。やはり包丁で切るのが妥当であります。しかし室町時代当時の包丁で果たして現代人が想像するほどス桃がパッと切れるのかといえばおそらくNoでしょう。
包丁の歴史を辿ってみても、江戸時代の泰平の世が訪れ日本刀の需要が減ったことにより、日本刀に用いた技術が応用され包丁はそれまでより進化を遂げたそうです。とすれば室町時代の包丁は推察するにそこまでの切れ味はなかったのではないでしょうか。ましてや一村人の爺婆が高級で性能の良い包丁を持っているとも考えにくいでしょう。
つまり、桃太郎の入った桃は現代人の感覚をもってした一般的な想像より切るのに苦労したのではないでしょうか。そうであるならば、勢い良く桃太郎ごと切ってしまうことは考えにくく、せいぜい刃が当たる程度かと思われます。それでも普通の赤子ならば危険でしょうが、桃から生まれる特殊な赤子が刃を当てられた程度で絶命することは、ストーリー構成から考えてもメタ的な考えでもほぼないでしょうか。これが私の苦しながらの反駁でございます。
さて、今回はここまで。
途中の考察の分析について論拠に乏しいところが多々あったかもしれませんが寛大な心を持って読んでいただければ幸いです。
次回も引き続き桃太郎を考察したいと思います。
ではでは〜