あしたをのぼって

少しズレてることでも意外にも君には響いていたりして

フリップフラッパーズ 感想

こんにちは

今回は昨シーズンのアニメ、フリップフラッパーズの感想をば。

昨シーズン通して観ていたのですが、見逃していた分をようやくAbemaで観れたのでやっと書けます。

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結論から言うと最高でした。オリジナルアニメということで特に前評判も知らずなんとなく観始めたのですが、まさかここまで化けるとは。

 

まず素晴らしいのがOP&ED

OPの特にサビはZAQの圧倒的な歌唱力と疾走感溢れる曲に合わせて戦闘シーンが暗さとミステリアスを孕みながら描かれていて観るたびにワクワクするものでした。

一方でEDは画面が西洋の童話のような画風の上半分とパピカやココナたちが様々な表情を見せる下半分で構成されており、幻想的な雰囲気を纏っていました。この独特なEDの魅力は簡単には言語化できませんがどこか惹きつけられるものがありました。EDだけでも一見の価値あり。

 

さて、本編ですが、前半を観終えた頃の感想はよくわからないけど面白いなぁという感じ。ピュアイリュージンとは何なのか、あのグラサンや覆面集団は何者なのか…そのあたりに言及されることもなく物語が進んでいって謎は深まるばかり。しかし物語は2人の女の子がホラーやメルヘンな世界を1話完結で冒険していく形式で、作画のクオリティの高さも相まってとても面白いなと感じていました。何より天真爛漫なパピカと戸惑いつつも心をココナの組み合わせが見ていて楽しかったですね。

 

そして物語の後半。ピュアイリュージンの謎、ソルトの過去、ミミの正体…物語は一気に進んでいきます。その中で僕が一番目を引かれたのがヤヤカです。後半に入りヤヤカのココナへの想いが徐々に表れてくるにつれてニヤニヤしてしまいましたね。そしてついには大胆な告白。まさに女の子の特権です。ヤヤカのキャラはありていに言えばツンデレですが、ツンデレという言葉では回収されないぶっきらぼうさとクールさ、切なさがヤヤカの魅力です。特に最終回のヤヤカのこの表情はなんとも憎いなぁ…

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物語が様々に展開していく中で最後にパピカとココナが互いを助けるための動機が「相手のことが大大大好き」というのは素直ながらも力強くてとても心に響きました。これにはヤヤカも敵わないなぁって思ってしまいますよね。

 

物語の謎は全て解決したとは言い難いですが、ワンクールという期間の中で無理にこじつけたり風呂敷をたたむよりも謎を残しつつ2人の冒険は続いていく終わり方は良かったのではないかと思います。視聴者側も何周かして考察を深めていける深い作品になったのではないでしょうか。

フリップフラッパーズの総評としては、作品として奥深さがありながらも、ピュアイリュージンという異世界の冒険を通したココナの成長やパピカとココナ(時々ヤヤカ)の友情物語などすっきりとしたテーマで描かれていて味わい深さと楽しさを感じられるとても良いアニメでした。百合要素もたまりませんでしたね。

 

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今回はここまで。

ではでは〜

 

ストライクウィッチーズ 紹介

こんにちは

今回はストライクウィッチーズについて

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このストライクウィッチーズというアニメ、ビジュアルにもある通り知らない人や初見の方からはパンツアニメだと揶揄され敬遠されがちです。しかし侮るなかれ、この作品は王道を征く正統派作品であり、少年ジャンプに載っていてもおかしくはないと僕は思います。それと彼女たちが履いているのはパンツではなくズボンです。もう一度言います。パンツではなくズボンです。その凝り固まった偏見をまずは捨ててください。

 

この作品の魅力はなんと言っても個性豊かなかわいいキャラたちです。頑固で行動力はあり巨乳好きな主人公の宮藤芳佳、トゲトゲしながらも周囲に振り回されどこか憎めないペリーヌ、クール強キャラから妹(みやふじ)大好きお姉ちゃんへとネタ化したバルクホルンサーニャの前だと思春期男子のようなヘタレになるエイラ。それぞれがどこか突っ込みどころのあるようなかわいさと面白さを持ったキャラクターが活躍するのが最大の魅力です。

 

さらには王道展開も見どころです。ウィッチたちの軍規違反なんて当たり前。仲間を守るため、自分のできることをする。自分の信じることを貫き通す。どんな敵でもどんな事態でも諦めない。そんな彼女たちが困難に立ち向かい困難を切り開いていく物語はまさに王道といえるでしょう。

 

キャラのかわいさや面白さ、強さを楽しみたい方。クセのない王道が観たいという方にはオススメのアニメです。きっと観終わる頃には好きなウィッチと出会い、彼女への愛に満ち溢れていることでしょう。僕はトゥルーデが大好きです。

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今回はここまで。

こんな感じでオススメのアニメ紹介もできたら良いなと思ってます。

ではでは〜

 

エヴァのテーマ

こんにちは

今回はエヴァのテーマについて

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前回まで書いてきたガンダムのテーマは「わかりあえない人類」ですが、ガンダムのテーマが外向きなものであるのに対してエヴァンゲリオンは内省的なものであるように思えます。エヴァには「人間誰しもが抱えている心の葛藤や心情の変化」というテーマが描かれているのではないでしょうか

 

主人公のシンジが敵対する相手は使徒。この使徒はほとんどが言語を持たず、またその正体も不明です。ゆえに戦闘における敵との対話はカヲルを除いては存在しません。それよりも戦闘を通して変化がフォーカスされるのは周囲との関係や心の持ち方です。

エヴァにおいて心情の変化が明確に表れているのはレイだと思います。当初は無口で感情も持ち合わせていないかのように表情一つ変えない女性でしたが、作品を通して周囲、特にシンジとの交流を通して人間らしさが見えてきます。あるシーンではレイがシンジに「雑巾の絞り方がお母さんみたい」と言われて顔を赤らめることがありました。レイの心の葛藤はあまりはっきりとは描かれなかったものの、人との交流を通した変化というのは目に見えるものがありました。

アスカにおいてはレイとは違うベクトルから描かれています。家族の自殺に起因した満たされない承認欲求。その行き先を常に探していたように思えます。梶にあこがれてみたり、時にはシンジを無機質に求めてみたり。強気な裏側に心の拠り所を探す少女してアスカは物語に存在しています。

心の葛藤や変化というのは少年少女を中心に描かれがちですが、ミサトのような大人にも焦点を置かれて描かれているのがこの作品の特徴です。指揮官としての立場、1人の女性としての立場、様々な側面を持ったミサトが人前では気丈に振る舞いながらも一方では心の弱さがある。そんな心の弱さに耐えられず、時には男に体を許してしまう。人間の持つ脆さを大人にも排除していない。そのようなところがエヴァの魅力であり、テーマが発現されているところでもあります。

それぞれの人間が持つ個性や違いとその裏側にあるそれぞれの心の動き、関係の変化。ロボットアニメではありながら人間の心にフォーカスされ描かれていた稀有な作品だと感じます。

 

いかがでしょうか。ガンダムエヴァという2つのロボットアニメが抱えるテーマというのは全く異なるものがあるとわかっていただけたら幸いです。もちろん全く共通する部分がないとは思いませんけどね。

 

浅い考察になりますがここまで。

次回からはガンダムを離れて他のアニメに触れていきたいと思います。

それでは〜

ガンダムのテーマ わかりあえない人類

こんにちは

今回は前回書ききれなかった「ニュータイプ」、そして「わかりあえない人類」について書いていきます

 

ジオン・ダイクンが提唱したニュータイプは人類の革新となるかに思えました。しかし現実はそうはなりませんでした

UC.0079、ジオン公国は地球連邦に対して独立戦争を仕掛けます。世に言う「1年戦争」ですね。この大戦の後期にニュータイプが明確な存在として現れます。しかしニュータイプはダイクンの期待した形ではなく、戦争の道具として扱われる形となりました。ニュータイプの相手の意思を読み取る能力やサイコミュ機能を使いこなす能力は戦争において絶大な力を発揮したからです

ニュータイプは戦争の道具でしかないのか。これを見直すひとつのきっかけがアムロララァという当代至高のニュータイプ同士の邂逅です。アムロララァが劇中で会ったのは数えるほどです。2人で特別な体験をしたわけでも長く時間を共にしたわけでもありません。にもかかわらず2人は互いに惹かれあいます。しかしその2人が最後に再会するのは戦場でした

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戦闘をする中で2人はニュータイプ特有の精神世界で互いの価値観をぶつけ合います。しかし彼らは分かり合えませんでした。互いの価値観を受け入れられないまま、最後にはララァがシャアを庇いアムロによって殺されます。このアムロララァが分かり合えなかった事実、そしてその後ララァの死という苦しみを背負い、時には共闘しながらも最後まで分かり合えなかったアムロとシャアの関係が僕はガンダムにおける「わかりあえない人類」を表していると思います

人類は長い歴史の中で戦い続け、人類全体がわかりあうことのないまま悠久の時を過ごしてきました。そこにニュータイプという人類の革新とも言うべき存在が表れ、人類は変わる契機を掴んだかにも見えました。しかしニュータイプもまた戦争という中では道具にしかなりえず、ニュータイプ同士も殺しあう運命を辿らざるを得ませんでした。ニュータイプという存在を経てもなおわかりあえず戦い続ける人類というある種の絶望を抱えた作品がガンダムではないか、僕はそう思います

 

ニュータイプの話になると筆が乗りすぎて良くないですね…

もうひとつのテーマである「地球汚染」についても書こうと思ったのですがエヴァとの比較の軸にはならないのでまた別の機会に書こうと思います

 

次回はエヴァについて

長くなりがちなのでできるだけ簡略に書いていく予定です

ではでは

ガンダムとエヴァの作品テーマの相違 (1)

あ、どうも

今回から何回かに分けて「機動戦士ガンダム」と「新世紀エヴァンゲリオン」の作品のテーマについて取り扱っていこうと思います

 

街行く人に「ロボットアニメといえば?」と訊ねればおそらく大半はこの2作品のどちらかをあげるでしょう

しかしこの2作品、同じロボットアニメといえど作品のテーマは全く違います

ガンダムエヴァも似たようなもんでしょ」という意見に対する僕の思うところを綴っていきたいと思います

 

ガンダムが扱うテーマは様々ありますが僕の考える大きなテーマは2つ。「わかりあえない人類」と「地球の汚染」です

ガンダムの舞台となる時代は人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって半世紀以上が過ぎたUC.0079。この頃にある1人の偉大な人物が現れます。その人物の名前はジオン・ダイクン。後のジオン公国の指導者ですf:id:kyassablue1:20170117171808j:image

彼は一つの持論を提唱します。それは宇宙に適合した新しい人類「ニュータイプ」の存在についてです。

人間は太古の昔のより様々な環境に適合するために身体を進化させてきました。やがて人類は故郷である地球を離れ宇宙という新たな環境住み始めました。宇宙は地球上に比べて遥かに広大であり、また生存していくにはかなり厳しい環境でありました。そのため、宇宙に住み始めた人類は宇宙という空間で生存するために、精神を拡大させ身体を超えた意思疎通を図れるように進化し始めます。このように進化した人類が「ニュータイプ」です。

 

このニュータイプの登場により意思疎通が容易となった人類は互いの意思を汲み取れるようになり、むやみな諍いが絶えることによって全人類が平和に過ごせるという夢みたいな理想も現実化するのではという期待も膨らみました。

しかし、現実はそうではありませんでした。

 

この続きは次回

ではでは〜

 

アムロの操縦技術 ─盾編─

前回はがっつり書きすぎましたね

これからはたくさん書く時は書きますが基本的には軽く書こうかなと思います

どうなるかはわからないけど…

 

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さて今回はアムロの操縦技術について

アムロガンダム史上最強のパイロットと言っても過言ではないですが、その強さの要因はニュータイプ能力もさることながら純粋な技術の高さもあると思います

そのアムロの操縦技術の高さを今回は「盾」の観点から見ていきましょう

 

 

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さて、RX-78-2「ガンダム」といえば特徴の一つにこの大きな盾があります

アムロはこの盾を防具ではなく武器としてしばしば使っているのです

 

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たとえばこのシーン。ザクに盾を投げて貫通させて撃破してます

これで死ぬザクのパイロットはたまったものではないでしょう

 

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有名どころではこのシーン。盾の後ろから盾ごとライフルを撃ちぬいています

このアムロの技を目にしてシャアの有名なセリフ「さらにできるようになったな、ガンダム

が生まれるわけですね

 

その他にもランバ・ラル戦では盾で姿を隠し斬りつけられると同時に上方から斬りつけてます

また、リックドム(モブ)戦では盾を斬りつけさせて左腕にサーベルを隠し持ち、わざと敵に盾を切らせることで隙を作りリックドムを撃破しました。まさに「肉を切らせて骨を断つ」ですね

 

そして僕が一番好きなアムロの盾を使った戦闘はおそらくは『灼熱のアッザムリーダー』回にあったと思います(画像は見つかりませんでした)

基地からアムロに向けて砲撃を放つ砲台。アムロが接近してくると地下に逃げてシャッターを閉じようとします

そこでアムロは閉まるシャッターに向けて盾を投げシャッターに挟ませます。そしてシャッターの隙間にライフルを突っ込み砲台を直接撃って撃破します

まさに鬼畜。徹底的に敵を殺すアムロはまさに「連邦の白い悪魔」ですね…

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バカスカとビームを放って敵を倒す平成のガンダムも好きですが、こういう操縦技術が楽しめるのは富野ガンダムならではですね、僕は大好きです

オルフェンズをはじめこれからのガンダムにもこのような操縦技術を魅せるシーンに期待したいですね

 

今回はここまで

こんな感じで軽く更新していきたいです

ではでは〜

キラ・ヤマトの不殺に思うこと

さてさて

今回から早速いろいろ書いていきたいと思います

 

最初何書くか迷ったんですが、手始めにガンダムシリーズから。僕のTwitterのアイコンがガンダム種死ということでその前作のSEEDからとっついていきたいと思います

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SEEDに関しては書きたいテーマが多くあるんですが、今回の記事で注目するテーマは主人公キラ・ヤマトの『不殺』。これについて書きます

 

まず初めに書いておきますが、僕はどちらかというとSEEDはアンチに近いです

魅力的な人物はいたりオマージュながらも独特の展開を見せたりと良い部分はあるんですが、それ以上に腑に落ちないことが多くて…それを踏まえた上でよろしく

それと作品の説明やあらすじは省きます、どこかで調べてきてね

 

さて、今回は『不殺』がテーマなんですが、このSEEDという作品の中で主人公のキラは敵のパイロットを殺すことを極力避けていました。例えばフリーダム初搭乗シーンでも、デュエルをあえてコックピットを狙わず切り倒す演出がありましたね

 

僕はこのキラの不殺の姿勢にどうも違和感を覚えるんですね。「いや、殺せよ!」とさえ思う

じゃあこの違和感は何だろう。そう思って不殺について考えて1番最初に思い浮かんだのが『るろうに剣心』です

 

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るろ剣における剣心の不殺の信念については僕は違和感なく受け入れられてます

では剣心とキラの不殺は何が違うのか

 

1つ目のポイントは「過程の描き方」

剣心は戊辰戦争で多くの人を殺しさらには最愛の巴まで殺してしまったその罪の意識や過去との決別から不殺の信念を持ちます

剣心の不殺は作品のメインテーマの1つで多くの敵が不殺を否定したり自身も不殺と向き合ったりするシーンが物語全体を通してありました

また、不殺を決意するまでの話も追憶編として長く明確に描いており、受け取り手が納得できる物語の描き方となっていました

 

一方でキラはというと人を殺すことの恐怖や葛藤について描かれたシーンは見られなかったように思えるのです

キラの葛藤はナチュラルからの差別や戦争をすることへの恐怖が中心であり、人を殺すという罪の意識や恐怖に苛まれている印象はありませんでした

そして前触れもなくキラは不殺を決めて戦闘に臨んでいます。バルドフェルトとの戦闘でもラゴゥを撃破して敵を殺してしまったことを嘆いています

キラがパイロットを殺すかどうかは作品の大きなテーマではないので確かに深く掘り下げる必要はないかもしれません。しかし、戦争という状況下において相手を殺せる能力を持ちながらも不殺を行うキラは一視聴者から見ればどうしても傲慢に映ります

不殺という戦争の基本に反した行動を取り敵を殺したことを嘆くような演出を取るなら、そこに至るまでの過程を明確に描くことが作品としてあるべき形なのではないでしょうか

 

さらには上でも触れましたが、2つ目のポイントは「環境の違い」

るろうに剣心の舞台は明治。戦争が終わった後の太平の世ではかつての剣豪である剣心もただの流浪人。剣心が人を殺す必要性は必ずしもありません

また、剣心と戦う相手は主に剣心の命を狙う者が多く、戦闘形式は1対1が基本です。

剣心が敵を戦闘不能にすればそこで戦闘は終わり。十本刀の張のように捕らえられたり黒笠の刃衛のように自害したりと様々ですが、少なくとも他の人の命がすぐに脅かされるような状況は回避しています。また、1対1形式の戦闘のため、倒した敵自身の命もある程度は保証されています

一方でガンダムSEEDの舞台は戦争の真っ只中。キラは元は民間人とはいえ物語の大半はガンダムパイロットであり軍人と言ってもいいでしょう。戦場という場で敵を殺すのは軍人なら当然のことであり、殺せる敵をわざと撃ち漏らすのは軍人にはあるまじきことです

そしてキラが敵と戦うのは戦場。キラが不殺の意志を持って敵を生かしたところで他の味方が殺すのは想像に易いことです。そのような環境で敵の戦闘能力を奪い戦場に放置するキラの行為が真に敵の命を生かすことになるのかは甚だ疑問です

時代という大きな環境と戦いの形や場という小さな環境。この2つにおいて2作品の違いは明確にあると思います

 

そして3つ目のポイントは「不殺の質」

剣心は左之助、蒼紫、宗次郎などのライバルに対して戦いの中で「語りかけ」をしています。それはただ力でねじ伏せるのではなく、彼らの心を変えることに目的があります。仲間の死や虐待の記憶から心を歪めてしまった彼らを、戦いを通して更生しようとしているのです。ここに不殺の価値を見出すことができます。命を闇雲に奪うのではなく、心を変え新たな生へと踏み出させる、そのためにある「不殺」なのです。剣心の不殺は「殺したくない」という個人のこだわりを超え戦う相手の人格のためにあると言えるでしょう

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対してキラの不殺は個人のこだわりの範疇を出ていません。剣心のように戦闘における人格的交渉をキラはほとんど行っていないのです。ガンダムシリーズではよく舌戦やニュータイプ同士のオカルト空間での交流が定番となっているのですが、キラはそれさえも行っていません。キラの不殺はまさに自らの手を汚したくないという思いだけを端緒に出たものだと言わざるを得ないでしょう

 

いかがでしょうか。結論としては、戦場で殺しをしないという矛盾を抱えながらそれに対して物語で触れず、過程や葛藤などの描写もないまま不殺だけが目立つことで、キラの行動が傲慢で薄っぺらくなってしまうことが問題だと思います

 

まとまりがなくなってきたのでここまで

説明が足りない部分や納得できないところもあるとは思うけど論文ではなく個人の感想なので許してね

散々書いておいて何ですがガンダムSEED、楽しめる作品なので1度は観てみては?

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次回のテーマや更新は未定です

それでは〜