あしたをのぼって

少しズレてることでも意外にも君には響いていたりして

桃太郎を考察する① 出生編

こんにちは。

突然ですが今回は童話『桃太郎』の考察をしていきたいと思います。

桃太郎を考察しようと思ったのは特にアニメのネタ切れというわけではなく、考察する作品として『桃太郎』という天啓を受けたからです。調べてみると『桃太郎』の起源やモデルを考察した本格的な記事はあるものの、作品として内容を考察しているものは見かけなかったので今回挑戦してみました。

 

※この記事はネタバレを含んでおります。桃太郎をまだ読んだことがない方はご注意ください。

 

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あらすじ

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。

 

 

桃から主人公が生まれる衝撃

この作品が最初に読者の心を掴んだのは主人公である桃太郎の登場シーンでしょう。多くの作品ではある程度主人公が成熟した段階でストーリーが始まっています。

しかしこの作品は桃から生まれるという衝撃的な方法で主人公が登場します。この方法によって桃太郎は他の人間とは異なる存在であるということをアピールし、さらにはその後の人間離れした成長や活躍を支える要素となります。また、桃というアイデンティティを獲得したことによって他のいわゆる「太郎系作品」の中に埋もれない印象を植え付けることにも成功しています。

一説には桃を食べて若返った爺婆の間に生まれた子という話もありますが、こちらでは主人公のキャラ付けが弱く、また急激な成長を肯定する要素として弱くなってしまうので私としては現行の解釈の方が好ましいと思います。

 

 

なぜ桃太郎は切られなかったのか

桃太郎に対する批判としてよく見られるのが「桃を切る時に桃太郎が切られなかったのはおかしい」という意見です。では果たして桃太郎は本当に切られてもおかしくなかったのでしょうか。

まずは桃の大きさを簡単に検証してみましょう。日本人の新生児の平均身長はおよそ50cm。丸まって入っていたとしても桃の大きさとしてはここが最低ラインになるでしょう。

最大の大きさを測る基準としては、おばあさんが洗濯物と一緒に持ち帰っている描写から、大きくても直径1mくらいでしょうか。数式などを用いて真剣に考察すれば正確な数字が出せるかもしれませんが、それだけで考察が終わってしまいそうなのでここでは省略します。ここでは上記を元に直径1mだと想定しましょう。

もし仮に直径1mだとしても桃太郎が占める桃内部のスペースはかなりあるでしょう。おじいさん達はもちろん食べるつもりで桃を切ったので、まず最初に中央から2等分する切り方なら桃太郎に包丁が当たるのは避けられないでしょう。やっぱり桃太郎が切られないのは不自然なのか…

 

そこで私が目をつけたのは「桃太郎の時代設定」。まず注目すべきはおばあさんが川へ洗濯に行っている事実です。洗濯の歴史を調べてみると、どうやら川へ洗濯に行く文化があったのは江戸時代以前で、江戸時代になってからは桶と洗濯板で洗濯するのが主流だったそうです。桃太郎という物語の発祥が室町時代とされていることからも辻褄は合うでしょう。

そして次に注目すべきは桃をどうやって切ったのかという点。

大きさ1mの桃と言えど食べ物なので斧や鎌で切るとは考えにくい でしょう。やはり包丁で切るのが妥当であります。しかし室町時代当時の包丁で果たして現代人が想像するほどス桃がパッと切れるのかといえばおそらくNoでしょう。

包丁の歴史を辿ってみても、江戸時代の泰平の世が訪れ日本刀の需要が減ったことにより、日本刀に用いた技術が応用され包丁はそれまでより進化を遂げたそうです。とすれば室町時代の包丁は推察するにそこまでの切れ味はなかったのではないでしょうか。ましてや一村人の爺婆が高級で性能の良い包丁を持っているとも考えにくいでしょう。

 

つまり、桃太郎の入った桃は現代人の感覚をもってした一般的な想像より切るのに苦労したのではないでしょうか。そうであるならば、勢い良く桃太郎ごと切ってしまうことは考えにくく、せいぜい刃が当たる程度かと思われます。それでも普通の赤子ならば危険でしょうが、桃から生まれる特殊な赤子が刃を当てられた程度で絶命することは、ストーリー構成から考えてもメタ的な考えでもほぼないでしょうか。これが私の苦しながらの反駁でございます。

 

 

さて、今回はここまで。

途中の考察の分析について論拠に乏しいところが多々あったかもしれませんが寛大な心を持って読んでいただければ幸いです。

 

次回も引き続き桃太郎を考察したいと思います。

ではでは〜

クロスアンジュ 紹介

こんにちは。

今回は2014年10月から2015年3月にかけて放送されたアニメ『クロスアンジュ』の紹介をします。

なぜ感想ではなく紹介であるかといえば、ぜひともみなさんにネタバレをすることなく観てほしいからです。

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あらすじ

人間たちは、「マナ」と呼ばれる画期的な情報伝達・物質操作能力を遺伝子操作の結果生まれつき持ち合わせるようになった。その結果、戦争や環境問題、食料不足などの諸問題は解決し、しばらく世界に安寧の日々が訪れた。一方で、突然変異により時折現れるマナをあつかえない者たちは「ノーマ」という蔑称で反社会的で野蛮な人物として虐げられ、「ノーマ管理法」と呼ばれる法律に基づき、社会から隔離されるという非人道的な扱いを他の人間からを受けるようになっていった。

大国「ミスルギ皇国」の第一皇女で、民衆から絶大な支持を受けていたアンジュリーゼ・斑鳩・ミスルギもまた、幼き頃からしばらくノーマ根絶を理想とする思想に染まった人間の一人である。彼女が16歳を迎えて洗礼の儀が執り行われた際、兄・ジュリオによってノーマである事実を暴露される。まったく知らなかった事実を受け入れられず、困惑するアンジュリーゼに対し、警察は彼女を「ノーマ」として憎むべき猛獣として捉え人間の世界から隔離した。その混乱の最中、我が子アンジュリーゼを兵士の銃弾から庇った母・ソフィアは命を落とし、父・ジュライはノーマを隠してかばっていたとして皇帝の座を簒奪される。

 

シリアスなギャグエロロボットアニメ

この作品を一言でまとめるならば「シリアスなエロギャグロボットアニメ」です。要素多すぎでは…と思うのですがそれほどにこの作品はボリュームのある内容となっています。

「シリアスなギャグ」要素について。この作品は過酷な環境が舞台となっており登場人物たちはみな必死に自分の思うままに行動するのですが、それがシュールに噛み合いギャグ要素を生み出しています。もちろん狙ったギャグ要素も多くあり面白いのですが、シリアスな展開でも笑えてしまうのが不思議です。

「エロ」要素について。この作品では裸のシーンがあったり規制がかかったりするシーンがやたらとあります。一言でエロと言ってもラッキースケベもあればセックスを思わせる描写、エログロなどバリエーションは豊富です。そしてなぜかエロシーンだけ作画スタッフの気合が入っています。エロシーンをただエロいだけでなく、笑える要素が入っていることが多いのでその辺りも注目のしどころです。

「ロボット」要素についても魅力があるのですが、多くを語るにはネタバレを含んでしまうのでここでは控えます。

「シリアスなギャグエロロボット」アニメというジャンルは後にも先にもこの作品だけでしょう。一見の価値ありです。

 

 

怒涛の展開、 見事な引き、秀逸なパロディ

この作品は上述した多くの要素が見どころである一方で、全体のストーリーや各話ごとの構成も完成度が高いです。通常、25話構成のアニメとなると中だるみが起きがちです。しかしこの作品は息をつく間もないほどにストーリーが展開していきます。かといって散らかることもなく登場人物がある程度絞られた中で変化していくのでストーリーがわかりやすいです。

また、各話の引きがまさに見事です。新キャラの登場であったり新たな決意を固めたところで終わったり…話の切りをつけつつ次回が気になるような引きをしていて毎回次の話が楽しみになりました。

さらには秀逸なパロディも魅力のひとつ。クロスアンジュの監督はガンダムSEEDの監督を務めた福田己津央氏なのですが、その影響もあってかガンダムSEEDで登場した武器とそっくりな武器が本編で描かれています。その他にもロボットアニメであるにも関わらずエースをねらえ!プロゴルファー猿のパロディシーンがあったり…詳しいことは本編を楽しみにしていてください。きっとその秀逸さに笑ってしまうと思います。

 

 

 

いかがでしょうか。ロボットアニメに興味のある方、面白くも破天荒なアニメを観たい方、笑えるエロアニメを観たい方にはオススメです。

アニメを普段観ない方には少しインパクトの強い作品ですが、逆にアニメをよく観る方には刺激が強く目を引く作品になると思いますよ。

ではでは〜

ブレイブウィッチーズ 感想

こんにちは。

今回は2016年秋アニメ『ブレイブウィッチーズ』の感想をしたためます。

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あらすじ

1944年9月、第501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」を中心とした連合軍の活躍で、ガリア共和国上空のネウロイの巣が消滅、欧州西部の安全が確保された。これを機に、連合軍は本格的に欧州中央~東部への反攻作戦を計画。オラーシャ帝国ペテルブルグに基地を構える、第502統合戦闘航空団「ブレイブウィッチーズ」にも出撃の命が下されようとしていた…。 

 

総評

結論から言うと「ブレイブウィッチーズ」という部隊としても作品としてもストライクウィッチーズの偉大さを知らされた作品でした。良いところもあるのですが粗が目立つし何より前作と比較してしまうがゆえに物足りなく感じる。結果的に前作を引き立たせてしまったように思えます。

 

看過できないCG作画の質と使いどころ

まず目についてしまうのがCG。CGはOPにも本編にもCGが使われているのですが、とにかく質と使いどころが悪いのです。

OPでは一体のネウロイに向かってカメラが進み502の面々が代わる代わる映っていくのですがそのCGが滑らかでなく、まるでポリゴンのような違和感があります。さらにはその質の悪さでありながらアップにして映すため余計に目立つのです。毎話流れるOPで質の悪いCGを見るたびに少し残念な気持ちになりました。

本編では主に戦闘シーンにCGが使われていたのですが、前作は主に戦闘シーンで引きで描く構図の時に使われており、使用回数もそこまで多くはなく要所ではCGが使われておりませんでした。一方で今作ではウィッチを近距離で描く構図の時に使われておりCGであることが目立つ印象がありました。また、使用回数も前作と比べて多く戦闘シーンの要所でも使われており、表情や動きに物足りなさがありました。この辺りが作品全体の完成度を下げてしまったように思われます。

 

キャラの個性の弱さ

もう1つ残念に感じたのがキャラの個性の弱さです。前作「ストライクウィッチーズ」の魅力の1つはキャラの個性にありました。502の面々もキャラは悪くないのですが、ロスマンとサーシャが若干キャラが被っていたり、下原とジョゼ回であまり2人の内面を深められていなかったりして個性の弱さを感じました。ストライクと比べて話数が少ないことがあるにしても、ルッキーニのような悪ガキ要素やシャーリーのような快活さを持ったキャラがいなく、全体的におとなしくまとまっている印象を受けました。もう少しメリハリやギャップを持ったキャラで構成されていたら面白くなるのかなと思います。

 

 

今回はここまで。ブレイブウィッチーズについてマイナスな評価が中心となりましたが、決して嫌いではなく愛ゆえに厳しくなってしまった…といったところでしょうか。良いと感じたところもたくさんありましたし、劇場版の13話も楽しみにしています。ストライクウィッチーズをご覧になった方はぜひとも観ることをお勧めします。やってみなくちゃわからない!

ゼノブレイド 感想

こんにちは

今回はゲーム『ゼノブレイド』の感想をば。

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あらすじ

我々の住む宇宙とは別次元の宇宙――
遥かな昔、大地すら無い世界に突如現れ、互いの全てを懸けて戦い、そして相打った巨神と機神。その戦いから幾万年の後、神の躯を大地とし、生命が生まれ、文明が生まれた世界。巨神の躯の上には人に似た「ホムス族」を始めとし、様々な種族が平穏な生活を送っていた。しかしある日、機神の方角より謎の存在「機神兵」が現れ、巨神の上に暮らす人々の殺戮を開始する。
神剣「モナド」の力によってかろうじてその侵攻は食い止めたものの、機神兵の再侵攻は目前に迫っていた……。

 

感動した!

時の小泉首相の発言みたいな見出しですが、ゼノブレイドを初めてクリアしたとき率直に感動したのです。クリアするまでのプレイ時間は約100時間。クエストをこなしつつストーリーを進めていくスタイルでやっていたのですが、とにかくボリューム満点でした。巨神と機神の身体を冒険するという世界観がオープンワールド形式と相まって物語の壮大なスケールを演出していました。僕が今までプレイしたゲームの中で間違いなく1番スケールの大きなゲームであり、それをプレイしてクリアした時の感動はひとしおでした。

 

ダンバンのカリウスに対する態度

主人公のシュルクは巨神界と機神界を旅しながら仲間を増やしていくわけですが、仲間の中でキャラが立っているなぁと感じたのはダンバンです。CVが堀川りょうであり強キャラ臭がぷんぷんして頼りがいのあるキャラです(実際に使ってみても強い)。ダンバンかっこいいなぁと思うわけですが少し気になる一面がありました。

それはメリアの兄・カリウスに対する態度がやたらと偉そうなところです。特にメリアが次期皇主として国民に紹介されるシーン。国民はシュルク一同は立ち上がってその様子を見ていますが、ダンバンだけは椅子に座り机の上に脚を乗せて斜に構えています。当時は軟禁状態でありイライラしているのもあるのですが、いやその態度はどうかと…。しかもやたらとカリウスのことを悪く言います。

なんでそんなにカリウスのことだけ悪く言うのかと考えてみたのですが、1つはおそらくは同じ妹を持つ兄としての頼りなさに腹を立てていたのでしょう。カリウスがメリアを危険な状況に送り出しておきながらそれを守れずにいることに自身の妹を守れなかった悔しさを投影させているのでしょうかね。

もう1つはかつての大戦の時に協力してくれなかったハイエンターに対しての不満だと思います。ハイエンターは機神兵の脅威にさらされておらず非協力的だったのですが、ダンバンは大戦を戦った1人のホムスとしてハイエンターが協力してくれれば…という思いもあるのでしょう。しかしメリアはまだ若く責任はなく、かといってダンバンが皇主に謁見して文句を言うわけにはいかない。そんな苛立ちが宰相的な立場として政治を行うカリウスに向けられているのでしょう。

ストーリー全体でかっこいい姿を見せているダンバンだけにこのあたりは残念でもありますが、一方で人間味のある面白いところでもあるでしょう。

 

ダンバンのこと書いてたら字数が増えてきたのでここまで。ストーリー全体や僕の好きなメリアのことについては次回…といきたいところですが気が向いた時に。

ついつい細かいところを深くつっついてしまいますね…

ではでは〜

城下町のダンデライオン 紹介

こんにちは

今回は城下町のダンデライオンについて

先日AbemaTVで再放送されていたのを視聴して改めて良いなぁと感じたので取り上げました

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あらすじ

ごく普通に街中で生活する櫻田家。だが父親は国を統べる王様で、子供達は全員特殊能力を持つ王家の一族だった。そんな一家の三男六女の兄弟姉妹である茜・葵・修・奏・遥・岬・光・輝・栞の中から、次期国王が国民投票によって選ばれることになった。(出典:wiki)

 

明るく爽快感のある主題歌

なんと言っても目を耳を引くのが主題歌。OPの曲「Ring Ring Rainbow!!」はゆいかおりが歌っていますがとにかく爽やかで明るい。小倉唯のキュートな声と石原夏織のハリのある声が良いメリハリを生み出しています。OPとしてこの作品の導入にぴったりな曲になっています。

EDはOPでも歌っていた小倉唯の「ハニカム」。小倉唯特有の脳をトロけさせるような歌声でEDをリズミカルに盛り上げています。全話観終わるころにはハニカムゥー!が癖になってしまいますね。それにしてもOPもEDも主人公でない役を演じている小倉唯が歌っていることに商業的なものを感じるのはぼくだけでしょうか…

 

1話完結型のわかりやすい物語構成

この作品の主人公は花澤香菜演じる櫻田茜ですが、作品では兄弟姉妹それぞれにスポットが当たります。自分の能力から国王になるのを恐れる葵や兄への自責の念に苦しむ奏などそれぞれの悩みに始まり兄弟や周囲との関わりを通してそれを解決していく展開もあれば、日常の何気ない話、修とクラスメイトの佐藤さんとのラブコメなど感動系やにっこり系を織り交ぜたシナリオ構成となっています。何より1話完結型であり、1回の放送で2,3の話がされる時もあってテンポよく話が進んでいくおかげでとても気楽に観れます。身構える必要なく楽しく観れるのがこの作品の魅力です。

 

萌えすぎない媚びすぎない絵柄

城下町のダンデライオンは『まんがタイムきららミラク』に連載されている漫画でありそれがアニメ化されたのですが、『まんがタイムきらら』系列というと個人的には萌えを押し出したキラキラ可愛い女の子たちをイメージしていたのですが、この作品はそういった絵柄ではなく割と自然な雰囲気の絵柄で萌えすぎず媚びすぎないキャラが描かれています。萌えアニメはちょっと…という方にも抵抗なく観られる雰囲気であり、極端な萌えアニメに若干の抵抗を持つ僕でも素直に観られる作品でした。

一方でアニメスタッフは視聴者への作画の魅せどころをわかっているなぁと感じました。

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奏様のこのお姿…。服も着てるし伸びをしているだけなのに醸し出されるエロさには作画スタッフの愛を感じます。これは脇ではなく腋と書いた方がふさわしい…そう感じさせるワンシーンでした。

 

 

いかがでしょうか

このアニメ、他にも特にワンクール作品として綺麗に終わっているところも魅力なのですがネタバレになるので書くのはやめておきます。選挙の結果は君の目で確かめてくれ!

ちなみに僕が投票するとしたらやっぱり茜様かなぁ…1番好きなキャラは佐藤さんだけど投票できないからなぁ…

気楽に楽しめるアニメを観たい、ワンクール分でも続きが気にならずスッキリと終われるアニメを観たいという方にはオススメの作品です。

 

今回はここまで

ではでは〜

冴えない彼女の育て方 加藤恵の衝撃

こんにちは

今回は冴えない彼女の育て方について。

冴えない彼女の育て方、通称冴えカノは現在BSで再放送されており未視聴の僕は今期アニメであるかのように観ているわけですが、先日冴えカノ3話を観ました。そして僕は衝撃を受けたのです…そう、加藤恵に。

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  冴えない彼女の育て方、主人公はオタクメガネでモテない男子高校生に周りのヒロインはツンデレツインテールに黒髪ロングクールの2人の女子高生。この3人ははっきり言ってテンプレ中のテンプレです。このベタな環境の中でひときわ異質なヒロインとしているのが加藤恵です。

髪型や顔つき、スタイルや言動はきわめて普通。全体的に可愛いが昨今の記号化された2次元ヒロインに当てはまるような濃い色合いはありません。一方で本編でも指摘されている通り地味というほど地味なキャラ付けもありません。普通に可愛いのです。

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そんな加藤恵のどこに魅力があるのか。僕が彼女から感じたのは「現実にいそうな子」という感覚です。彼女は他のアニメキャラのように際立った特徴がないからこそ現実感があるのです。現実の女の子はもちろん色鮮やかな髪色もしていなければ特筆すべき個性を持っているわけでもないのが大半であり、だからこそ特別な女の子がアニメのヒロインという形で現れるわけです。

「現実にはこんな子はいない」なんてツッコミを受けがちですが、アニメのヒロインとは現実にいないから描かれるものであると僕は考えています。この作品も例外ではなく、澤村のようなオーバーなツンデレや霞ケ丘先輩のような女子高生も現実にはほとんどいないと言えるでしょう。しかしそんなキャラの濃い環境であるからこそ加藤恵は現実感を持つわけです。

 

加藤恵の雰囲気はおっとりとしていますが、一方で全てを他人に流されるような芯のない人間には見えません。主人公との会話においても鋭く指摘したり否定したりする部分を垣間見せています。また、彼女の主人公に対する関心具合もはっきりとはしていません。主人公を好きという明確な描写は(3話時点では)なく、かといって急に家族旅行から帰ってきてはヒロインを演じるために特訓したり一緒に徹夜でゲームをしたり…。フラグを立ててはいないものの、主人公はただの友達とは思っていないような印象を受けます。

要は何が言いたいかと言えば、加藤恵は一言で断定できないキャラなのです。この断定できない自分と加藤恵の性格、そして距離感が絶妙に彼女に現実感を持たせるのです。現実の人間はアニメのように切り取って貼り合わせたような性格であったり書き表わせられる感情で示された距離感があるわけではありません。掴みきれない性格や距離感があるからこそ人間を人間として感じられるわけです。僕は加藤恵に対して現実の人間と同じような感覚を持ちそれがアニメ上で生きていることに衝撃を受けました。そして今回このように筆を取ろうと思ったわけです。

 

おそらくそれは作者の意図するところでもあったと思います。特にヒロインの性格は上記に書いた通りですが、性格だけでなく名前も澤村・スペンサー・英梨々と霞ケ丘詩羽というゴリゴリの二次元ネームなのに対し加藤恵はありふれた名前です。他の2人を際立たせることによって加藤恵が色の濃淡の差として現れるわけであり目を引く形となるわけですね。

 

それにしても加藤恵の現実感は罪ですね。距離をとって見れないから彼女にどんどん惹きつけられてしまう。彼女の掴みきれない雰囲気から放たれる少し大胆な行動にドキドキしてしまいます。自分の好みもあるのでしょうが…。

 

今回は3話時点での投稿であり、全編は観ていないのでこれから動向を追いつつまた観終わる頃にでも書きたいと思います。

書き足りない感じですが今回はここまで。

ではでは〜

終末のイゼッタ 感想

どうも

今回の題材は終末のイゼッタです

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イゼッタを観始めたきっかけはメインヒロインの金髪のお姫様フィーネのCVが早見沙織さんだからという単純なものでしたが、いざ観始めると百合軍事アニメという僕のツボを狙い撃つようなジャンルのアニメでした。

 

結論から言うと、軍事モノとしてのストーリー展開の締めは少し苦しさもありながら、しかし絶品の百合を描いた良い作品でした。

魔女の力を持つイゼッタは祖母の教えに反し、国のリーダーたるフィーネを幼き頃に自分を助けてくれた恩を返すために全力を尽くして助けます。2人の関係はこの構図から始まったのですが、物語が進むにつれ2人が追い詰められた時、さらに関係は進展したように思えます。

物語終盤の、新たな魔女の登場により自身の命が危機に瀕してなおフィーネのためにと言い戦い続けるイゼッタの盲目的とも言うべき忠誠は、もはや昔の恩だけでは語り尽くせない次元にまで到達していました。それはまさしく「愛」と呼ぶにふさわしいものです。フィーネもまたイゼッタに対して全幅の信頼を寄せており、一方で常に彼女の身を気遣っており彼女の慈愛をひしひしと感じました。

そんな2人の関係が最高潮に達したのが月夜の晩に空を飛び回るシーン。決戦を前にしながら落ち着きを見せ、大胆に楽しそうに振る舞うフィーネとそんなフィーネに照れと戸惑いを見せるイゼッタ。2人が1つの箒に乗って空を駆ける姿は優雅で神々しさに満ち溢れており感涙を禁じ得ませんでした。美しいという言葉はこのためにあるのだと…そう確信を得るほどに。

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上記を始めイゼッタの作画スタッフは百合シーンに格別の気合が入っていたように思えます。特に下の1枚絵は百合とエロスの絶妙な塩梅で描かれており、若干の露出があるベッドでの添い寝という場面ながらもチープなエロスに堕落させないスタッフの信念を強く感じるものでした。この画像は宝物です。

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『終末→fine→フィーネ』というタイトルのカラクリに僕が気付いたのは作品が終わる頃でしたが、そのタイトルのカラクリを前にただ頷くことしかできませんでした。それはこの作品が「Fine Izetta」として完成されていたからです。

友情、忠誠、愛…あらゆる想いを織り交ぜたこの「百合」は僕自身の百合観に新たな可能性を与える素晴らしいものでした。

 

ストーリー展開について言及したいのは1点だけ。最終話の首脳会議でフィーネが涙ながらに魔女の脅威がなくなることを訴え、それによって諸侯がゲルマニア攻撃の戦端を開いた部分が少し足りないかなと思いました。特にアトランタゲルマニア制圧へ動くのはちょっと動機が弱いかなと。第二次世界大戦をモデルにしているからなんでしょうが、利害を中心に動いていた諸侯がフィーネに心を動かされるにはもう少し説明が欲しかったように思えます。僕の理解不足なら申し訳ないのですが…2周見ればわかるのかもしれません。

 

前回書いたフリップフラッパーズと同様、これもオリジナルアニメですがかなり素晴らしいクオリティでした。このようなオリジナルアニメが毎クールあると嬉しいですね。

 

今回はここまで。

ではでは〜